延喜式内社とは

延喜式内社とは

【延喜式内社とは何か】

「延喜式内社」とは、延長5年(927年)に完成した格式書『延喜式(えんぎしき)』巻9・10「延喜式神名帳(じんみょうちょう)」に記載された神社のことを指します。

この神名帳には、全国2861座の神社(3132柱)が記載されており、これがいわゆる「式内社(しきないしゃ)」と呼ばれる神社です。

つまり、「延喜式内社」とは「延喜式」成立の延長五年(927年)以前に創建された神社であり、いずれも千年以上の歴史を有している神社です。

【延喜式の意義】

『延喜式』は、律令制に基づく国家祭祀の実施細則をまとめた法典であり、延喜5年(905年)に醍醐天皇の命によって編纂が開始されました。
特に「神名帳」は、当時国家が公式に認定した神社と神々を記録したもので、国家的な神祇制度における中核資料です。

これに記載された神社こそ、律令国家によって「公的に認められた祭祀対象」であり、これをもって神社の格式が制度的に確立されることとなりました。

【式内社の分類】

神名帳に記載された式内社は、以下のように分類されます:

  • 大社(たいしゃ)・小社(しょうしゃ):国家からの幣帛(へいはく、供物)を受ける規模の違い。大社はより重要。
  • 名神大社(みょうじんたいしゃ):特に霊験あらたかな神々を祀る神社で、災厄時の「名神祭」対象となった。
  • 官幣社・国幣社(これは後の近代社格制度における名称ですが、延喜式時点では幣帛の捧げられ方に起源があります)

これらは単なる格式の差ではなく、国家がどう神々と関係を結ぼうとしたかの体系的な表れであり、神道祭祀と国家統治の一体性を示すものです。

【延喜式内社の意義と文化的影響】

1. 国家祭祀のネットワークとしての役割

延喜式内社は、単なる宗教施設ではなく、地方支配と中央統治を結ぶ「神祇のネットワーク」として機能していました。
たとえば、各地の郡司や国司がその地の式内社に幣帛を捧げることで、中央(天皇)と地方をつなぐ祭祀的な回路が形成されていたのです。

2. 地方文化の核としての神社

延喜式に名を連ねた神社は、古くから地域に根付いた神々を祀る社であり、祭礼や信仰の中心となっていました。
そのため、式内社の多くは、現在も地域信仰の核として、祭礼・年中行事などにおいて重要な役割を果たしています。

3. 後世への影響:近代社格制度の基盤

明治時代の近代国家による「近代社格制度(官幣社・国幣社・村社等)」の制定においても、延喜式内社であるか否かは神社の格式を定める際の有力な基準とされました。
つまり延喜式は、1000年以上にわたって「神社の公的価値基準」の指標となってきたのです。

【須佐之男命と延喜式内社】

須佐之男命を主祭神とする神社の中にも、延喜式に登載されたものが多数あります。

代表的な例として:

  • 須佐神社(島根県出雲市)
     → 延喜式出雲国神名帳に登載。出雲系神道における須佐之男命信仰の中心。
  • 八坂神社(京都)(かつての祇園社)
     → 延喜式には「祇園社」としては記載されていないが、後世に「牛頭天王」と須佐之男命が習合され、事実上の須佐之男命信仰の拠点に。

【まとめ】

  • 延喜式内社とは、『延喜式神名帳』に記された国家公認の神社群。
  • 国家祭祀と地方統治のネットワークを形成する制度的な柱。
  • 須佐之男命を祀る神社の中にも、延喜式登載社が多く、神道史上の位置づけが明確。
  • 延喜式は、神道における「公と私」「中央と地方」「信仰と制度」の関係を読み解くカギとなる史料。

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